![]() |
![]() |
|
申込用紙|日程表 / 中国前漢の史家・司馬遷が記した『史記』に、秦の始皇帝の命を受けた方士徐福が不老不死の仙薬を求めるために東方の蓬莱に向けて出航したと記されています。『史記』は中国の最も古い歴史書のひとつで、学術的権威をもつ大著であり、中国では正史とされ、その記述は殆ど間違いがないといわれています。
『史記』によれば、徐福は“巨費を注いで編成された大船団を率いて、紀元前219年に出航し一旦帰ってきた。翌年更に増補して渡海した。さらに数回試みた後、紀元前210年の出航後は[平原光沢を得て王となり帰らず]”とされています。さて徐福が目指した東方の蓬莱とはどこでしょうか。
日本では徐福渡来にまつわる話が各地に見られますが、和歌山県の新宮、山梨県富士吉田、京都府伊根町、佐賀県内数ヵ所、鹿児島県串木野、青森県八戸・小泊村などが有名です。
しかし徐福のことが、伝説として土地にとけ込んで語り伝えられているのは、この佐賀地方が一番のようです。
戦後は徐福を祀る金立神社に、中国の駐日大使、領事等でお参りになった方々が数多いと聞いています。李連慶中国徐福会会長も日本の仕事の合間に参詣されたそうです。
佐賀の人は、自分の土地のことを他の地方の人々に伝えたがらず、宣伝が大変下手な県民といわれています。伝説を他に伝える機会もなかったのでしょう。佐賀の徐福伝説は、1988年まで日本国内に殆ど知られることはありませんでした。(asa)
【このサイトについて】
佐賀県徐福会会長、村岡央麻が上梓した「佐賀に息づく徐福」のWEB版です。第3刷以後の徐福にまつわる情報も加えて発信する予定です。
全国に残る徐福伝説のうちでも佐賀のものは具体的な上陸地から、徐福一行の行程、途中途中での逸話、お辰との悲恋物語、今現在も残る地名や言葉・風習までその質・量ともに最も信憑性が高いと言えましょう。まさに佐賀の土地・人々のあいだに「息づく」徐福さんを紹介していきたいと思います。●当サイトはリンクフリーです。必ずトップページへのリンクをお願い致します。(バナー画像はこちら)●徐福関連情報を発信されているサイトとの相互リンクは歓迎致しますのでご連絡ください。(tAd)
【キーワード】
アシタバ
|醤蝦(アミ)
|伊万里
|保食神(うけもちのかみ)
|斉魚(えつ、エツ)
|お辰観音
|御手洗の井戸
|片葉の葦(ヨシ)
|搦(からみ)
|カンアオイ
|佐賀市金立地域徐福遺跡地図
|金立山
|金立山入山経路
|金立神社(奥の院,上・中・下宮,下之宮)
|金立神社縁起図
|金立神社大祭
|金立神社例大祭
|金立公園
|黒茎のヨモギ
|クロフキ(黒蕗)
|源蔵の松
|源蔵、源蔵屋敷
|コケモモ
|五穀
|権現さん
|佐賀 諸富の徐福伝説
|史記
|七面草(シチメンソウ、しちめんそう)
|石楠花(シャクナゲ、しゃくなげ)
|徐福採薬図
|徐福長寿館
|徐福伝説
|徐福伝説地一覧
|徐福上陸碑
|徐福石像
|徐福の不老不死薬(日本各地)
|徐福ロード
|神仙・神仙思想
|千駄ケ原
|仙人
|仙薬
|丹薬
|チクセツニンジン
|千布
|寺井
|照井
|テンダイウヤク
|トチバニンジン→チクセツニンジン
|ハマオモト(ハマユウ)
|吹上観音
|浮盃
|浮盃津
|百工
|ビャクシンの木
|古湯(ふるゆ)温泉
|フロフキ
|不老不死薬→徐福の不老不死薬
|方士徐福
|蓬莱山
|罔象売女命(みずはめのみこと)
|諸富浮盃津
|吉野ヶ里遺跡
|竜王崎
|連雲港市名誉市民
|湧出御宝石