佐賀平野は、脊振山系の南面から有明海に扇状に広がり東には九州最大の河川「筑後川」西は休火山「多良岳」に至る平野で、東西30km、南北20km、米の生産量は日本でトップクラスです。
北部九州は遺跡の宝庫といわれ、昔から前漢から後漢の時代の鏡や土器が多く発掘されています。佐賀平野でも脊振山系で南面した村々では、何かの折りに埋蔵物が発掘されることは多く、それが少し重要なものと見られれば新聞の片隅に発表されるぐらいであまり大きく話題になることもありませんでした。
この地方に住む人々は農作業、また、工事の最中に古代の人々の遺品を見つけ、自分たちのルーツに想像をめぐらしてきましたが、専門家の先生方からは一笑にふされることも多く、悔しい思いをされている方の話も多々耳にしていました。なぜ、この様なたくさんの出土品に日本の学者が注目しないのでしょうか。私は、日本の歴史で解明されていない部分がこの佐賀地方に潜んでいるのではないかと、ニュースを聞くたびに思い、歯がゆい思いをしていました。
西から東に細長く横たわる日本列島の中で南面した平野に佐賀平野、濃尾平野、関東平野、などがありますが、中国に最も近いところを考えると佐賀平野でしょう。
北に脊振の山をひかえ、東に九州一の大河筑後川、西には多良岳の森を見て、前方に日本一の干満の差があり、干潟が広がる有明海、まさしく風水の理にかない、世界の四大文明発祥の条件にも適合した、ここ佐賀平野、いわゆる北部九州、筑紫平野と言われている、一番中心のこの佐賀平野に中国の文化が次々に到達し,さらに徐福の事件によって、決定的に新しい文化つまり弥生が花開いたと考えても、おかしくはないのではないでしょうか。
吉野ヶ里の発見は、まさしくそれを実証するものであり、本格的な稲作により、生活が安定し、さらに支配者と労働者の身分の確立も進み、国の成り立ちが見えるものとして位置づけられています。