徐福伝説(佐賀市)
秦の始皇帝の命を受け、不老長寿の薬を求めて日本を訪れた徐福。彼の伝説がここ佐賀にはいたるところに点在しています。
●浮盃(ぶばい)の地名の由来(佐賀市諸富町)
有明海にたどり着いた一行は、盃を浮かべて流れ着いたところから上陸することにしました。この故事から人々は盃が流れついたこの地を「浮盃(ぶばい)」と呼ぶようになりました。
●片葉の葦の伝説(佐賀市諸富町)
上陸した一行は生い茂る葦を払いながら進みます。片側だけを払ったので、以来この辺りの葦は片葉となります。現在でも寺井津の土手沿いに生え、伝説を裏付けるように片葉のみで生い茂っています。
●御手洗いの井戸(佐賀市諸富町)
水を使うため、一行は井戸を掘り手を洗います。これが「御手洗いの井戸」で、今でも手厚く奉られています。諸富町寺井の地名は「手洗い」がなまったものだと考えられています。
●新北(にきた)神社の神木「ビャクシン」(佐賀市諸富町)
徐福は上陸の証として「ビャクシン」の種を植えます。「ビャクシン」は、勢い良く芽をふき、大きく天に向かって栄えたといわれています。「ビャクシン」は元来暖かい地方の樹木で、国内に自生する例はほとんどなく、樹齢2200年と推定される古木はさらに全国でも珍しく、不思議に徐福伝説と符号します。「ビャクシン」は、新北神社の神木で現存しています。
●千布を敷いて北上(佐賀市)
徐福は蓬莱山に似ている金立(きんりゅう)山に向けて出発します。しかし、道は荒れ、歩くのに困難な状態でした。そのため布を敷き歩きやすくして進みます。現在の佐賀市金立町千布に達した時、ちょうど千反の布を使いきったので、この地域を「千布(ちふ)」と呼ぶようになったといわれています。
●お辰との恋物語(佐賀市)
徐福は、土地案内を頼んだ源蔵の娘お辰と恋仲になります。しかし、徐福が金立を去るとき「5年後に戻る」との伝言が「50年後に戻る」と誤って伝わったため、お辰は悲しみのあまり入水したと伝えられています。金立神社のお辰観音はこの悲恋に由来するものです。
●霊薬「フロフキ」(佐賀市)
徐福はついに金立山山頂で仙人に会い、不老不死の霊薬を手に入れます。これはフロフキといわれ、現在でも金立山に自生しています。ちなみにフロフキは不老不死がなまったものともいわれています。
●徐福長寿館(佐賀市)
徐福長寿館では徐福に関する資料を展示するほか、薬用植物園などがあります。
入館料 大人300円 中学生以下150円
開館時間 9時00分〜17時00分(入館は16時30分まで)
休館日 月曜日、休日の翌日、12月29日〜1月3日
■佐賀・諸富の徐福伝説 2200年前(B.C219)中国統一の偉業を成し遂げた秦の始皇帝はあらゆる
権力を手に入れ栄華の日々を送っていたが、老いと死の不安からは逃れら れなかった。 古来から中国には、不老不死を願う神仙思想があり深山の奥に住む仙人
が不老不死の霊薬を作っているという言い伝えがあった。始皇帝は神仙の 術をおこなう方士と呼ばれる者にこの霊薬を探すように命じた。
方士の一人である徐福が「東海に蓬莱島あり、島上に仙山あり、食すれ ば不老不死を得る」と進言した。そこで、始皇帝は徐福に「五穀,百工の
ほか童男童女三千人」を与え蓬莱の島へと旅立たせた。 徐福一行は、有明海に入り、大きな盃を海に浮かべ流れ着いた所から上
陸することにした。盃は筑後川下流のくぼ地に流れ着き、浮かべた盃が流 れ着いた地を「浮盃」というようになった。また、生い茂るヨシの葉を手
でかき払って上陸したので片葉が切れ、その後片方だけに付く片葉のヨシ になってしまったといわれている。 一行は上陸するとまず井戸を掘り、はじめに手を洗った。その音がな
まって「寺井」の地名になったといわれる。その後、徐福は蓬莱の国に来 た証として五穀と一緒に持ってきたビャクシンの木を植えた。
徐福が不老不死の薬を求め金立山に向かった道中は、道が非常に悪かっ たので布を敷きつつ前進した。それが千反になったのをうずめた土地が今
の千布(金立町)といわれている。金立山に入った徐福は村人の援助によ り不老不死の霊草「フロフキ」を探し出すことができた。