中華人民共和国江蘇省連雲港市
楡(かんゆ)県金山村徐福村。
1981年「
楡県地名録」をまとめるべく、現在調査中の汪承恭氏が目を止め、地質学者である蘇州師範大学教授羅其湘氏と光明日報に1984年に徐福の故郷発見と発表し、中国国内に大ブームを巻き起こした。
村の入り口に、「徐福村」と大きく彫られた石碑の立つこの村は、当時人口800人。米と茶が生産されている村だった。
1988年10月に佐賀市訪中団が訪問、その日まで干天で望んでいた雨が降り出し、村の人々は大喜びしました。
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佐賀市市制100周年を迎える記念シンポジウムに、徐福を取り上げ、その準備のために佐賀市議会議長(当時)木下祺一郎氏(※)を団長に市議会議員、市民、マスコミ代表、シンポジウム参加の学者30余名が1988年に訪問した。
1999年には佐賀市と連雲港市は友好都市として締結調印した。
その後、連雲港の大理石を使って佐賀城の堀に橋をかけたり、徐福長寿館を開館、中学生の相互ホームステイ交流など年毎に交流は深まっている。
2001年、中国徐福会会長李連慶氏、秘書長張美榮女史が佐賀吉野ヶ里を訪問。案内は親子2代に渡って吉野ヶ里遺跡の調査発掘に情熱を燃やしている、遺跡発掘責任者七田忠昭氏。
中国徐福会は4年に1度の国際フォーラムを北京にて開催している。
2002年6月フォーラムには佐賀県徐福会から30名参加。2006年6月には20名ほど参加。
シンポジウムは終了しました。多数のご来場有難うございました。
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平成20年は、(徐福東渡2218年※1)で下記の節目の年に当たります。
紀元前210年、秦の始皇帝の命を受け、不老不死の仙薬を求めて、蓬莱の国を目指し東の海に出港した徐福は、
有明海から平原広沢の地、佐賀平野に上陸、ここから中国文化と生産技術を伝えたとされています。
今回は、この徐福の壮大な足跡と弥生時代の歴史の背景を検証し、さらに、この事実が吉野ヶ里遺跡とどう関わるかを
研究するもので、全国の徐福研究家をはじめ一般の方々及び中国・韓国・台湾からも多くの皆様に参加して頂く予定です。
佐賀県の徐福プロジェクトが、強力に推進されている中で「佐賀・徐福国際シンポジウム」を基点として、国内はもとより、海外からの観光客誘致の起爆剤となり、佐賀県の経済発展、東アジアとの関係をさらに深める一助になればと考えております。
※1諸説があり、確定したものではありません。
※2吉野ヶ里遺跡が全国から脚光を浴び、保存のきっかけとなりました。